豊中市の歴史についてご紹介します!

豊中市の歴史についてご紹介します!

こんにちは!ハッピータイムケア豊中茨木吹田老人ホーム・介護施設紹介センターです!

本日は、豊中市の歴史についてご紹介します。

皆さん今日8月15日は何の日かご存知ですか?第2次世界大戦が終結した「終戦の日」です。

豊中市でも戦争で大変な被害がありました。豊中市への空襲は昭和20年6月7日から終戦までに6回行われ、死者575人、重軽傷者約900人、罹災家屋約3,000戸。その被害は大阪府下では、大阪市、堺市に次ぐ3番目の戦災都市となりました。

豊中市岡上の町(国道176号、岡上の町交差点東側)の墓地には、空襲の犠牲となった旧制豊中中学校( 現在の府立豊中高等学校 )の20期生と教師 、 10人への慰霊の意を込め 、「憶念」の碑が建立されました。

豊中市役所近くにある府立桜塚高等学校の南館玄関内には、「 ほむら野 」 少女像があります。徒動員で工場に勤務していた女子生徒の多くが空襲に巻き込まれ 、7人が亡くなりました。この像は亡くなった同窓生を悼むとともに 、「学び」「平和」「生きる」ということへの思いの継承を願って作られました。

豊中市には他にも、三国金属工業(豊南町西)の慰霊碑や旧牛立火の見やぐら(庄内東町)、二軒家公園(豊南町南)の慰霊碑などが建立されています。

 

豊中市にお住いの高齢者の方には戦争を経験された方もたくさんいらっしゃいます。ハッピータイムケアでは、高齢者の方々に安心して暮らせる住まいを探すお手伝いをこれからもしていきたいと思います!

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